【37年間の絆】吉本興業の大崎会長とダウンタウン松本人志の関係とは?

吉本興業の岡本社長の会見で傷口を広げ
若手芸人がSNSを介して抗議を繰り広げるという
前代未聞のお笑い界を私はつまらなく見ています。

お笑いが小さい時から好きだったので
吉本といえばもう私の憧れでした。

ダウンタウンが世に出た頃は本当に
お笑いのスターで衝撃的に面白かったです。

今の売れない芸人がSNSで抗議することを
個人的にはかっこ悪いなと思っています。

ダウンタウンの松本人志がなぜ大崎会長を慕うのか
それはあの頃を知っている人ならわかると思います。

大崎会長と松本人志の関係を詳しくみてみましょう。

ダウンタウン松本人志と大崎会長の関係とはどんなものなのか?  

ダウンタウンを見出した人でもあるため
松本人志が「大崎さんがやめるなら僕もやめる」
というのはわかる気がします。

岡本社長の会見後から松本人志が吉本興業に
批判をするかと思いきやちょっと違う方向を
向き始めているところから、二人の関係性が
見えてきますね。

 

松本人志との関係とは?

松本人志はダウンタウンとして無名の頃、
二人を見出しマネージャーとして大阪で
人気者にし東京進出をさせてくれた人が
大崎会長なので、人並みならぬ恩義があるからです。

宮迫と亮の闇営業問題が違う方向に広がっている中で、
ダウンタウンの松本人志が「大崎さんがやめるなら僕もやめる」と
ワイドナショーで生放送で発言していました。

まだダウンタウンが無名時代に大崎会長が
マネージャーを志願してふたりに
色々なノウハウを教えてくれ
育ててもらったというファミリーなんですよね。

37年間の長い関係でこの絆は崩れることはないでしょう。

松本人志と大崎洋はファミリー
引用元:週刊文春

兄貴と呼ぶのはそういうことですよ。

無名で仕事がない頃、大崎洋とダウンタウンは
映画見に行ったり銭湯へ行ったりいろんな夢を
話しながら共に頑張ってきた人なんですね。

ダウンタウンが無名の頃からマネージャーとして育てた大崎洋
引用元:日本産経新聞

そのまっちゃんの言葉に批判があったけれど
私は、そりゃそうだろうなと思います。

芸人さんの世界って素人にはわからない
事がたくさんあるんですよね。

松本動きます

この言葉が分裂を呼ぶことになるとは
最初は思ってもみなかったです。

かっこいいなあとSNS上でも絶賛され
私も正直かっこいいなあと思っていました。

松本人志が動くってやっぱりすごいことなんですよね。

ところが、岡本社長の記者会見を挟んで、
この言葉が微妙な意味に変化してしまいました。

80年代の漫才ブームに売れた芸人
今の時代に頑張っている芸人との意識の差が
激しく違う事がわかりますよね。

極楽とんぼの加藤がスッキリの番組で
大崎会長と岡本社長の退陣がない限り
自分は吉本を辞めると宣言しました。

その時、だいたいの人はかっこいいと
思ったと思います。

これぞ正論だと。

ところが、大崎会長との面談をする頃には
加藤が勝手に息巻いているだけだという声
ちらほら聞こえ始めました。

これには、80年代漫才ブームの頃に
売れた大御所の芸人たちがコメントを
するようになったから
です。

宮迫と亮の会見から岡本社長の謝罪会見、
加藤の辞める宣言に、SNS上で不満を吐き出す
吉本の売れてない芸人たちが出てきたころ、
大御所が出陣です。

関西の女帝の上沼恵美子がコメントをしました。

吉本の若手芸人も出演する番組内で、
宮迫や亮の片を持ちつつ吉本興業への
パワハラを発信したのです。

上沼恵美子が宮迫と亮の事件でSNSで若手が
吉本批判をしていることに対してコメント

していました。

吉本興業の大崎会長や岡本社長の会見で若手に喝を入れる上沼恵美子
引用元:yahoo news
    上沼は「今回の一件で宮迫さんへの思いみたいなのが変わったりするんですか。

    好きだったのが嫌いになるとか」と尋ねたが、3人は「全くない」と否定。

    むしろ「応援する」などと復帰を願った。これに上沼が噛み付いた。

     「すごいね。なんかスポーツマンの仲間みたい」と切り出すと、「ライバル違うの? そんなことなって『スッとしたわ。消えるし』とか思わなかった?」と追及。

    藤本は「そんなこと思ってる芸人いないんじゃないですかね」と返したが、「いてるわ。芸能界はいす取りゲームやもん」とすぐさまツッコミを入れた。

     上沼は「私なら消えてくれてよかったなと思うかも。

    私はそうだった。お姉ちゃんと漫才やってた時に上が消えてってくれたらいいのにと思いました」とコメント。

    さらに「私が若いときと時代が違ってる」と前置きした上で、「だからいまの芸人はおもろないねん。一つ頭でいようと思わないから」と指摘。

    「みんなで一緒に『おもろないようにしよな』ってスクラム組んでんねやろ」と問いかけると、方正は「それぞれ分野がある。僕は落語」と話し、原西も「宮迫さんがやってることは僕らはできない」と説明した。

    引用元:サンスポ

芸人の世界はよくわかりませんが
頭一つになるために芸人をしているのでは?と
いう上沼恵美子の発言に深く共感しました。

上沼恵美子が若い頃から漫才の世界で勝ち上がってきて、
今の地位があるのだというのがよくわかりますし、
実際現役で面白い(笑)

それが芸事の世界と思ってました。

大平サブローもコメントしている中で、こう言っています。

若い人。こいつらふぜいでこれを言うか

気に入らんかったら辞めろと思うねん」

お笑い界で頭を取った人(売れた人)の言うことが
一貫して同じなんですよね。

ハングリー精神は芸を面白くするっていうのは満更
戯言ではないです。

見ている客が1番よく分かってることと思います。

島田紳助がインタビューに答えていました。

島田紳助は反社会団体と10回食事したことで、引退をしました。

その時の社長は、大崎洋でした。

引退をさせたくなかった大崎洋が戻ってくるというのを約束に
島田紳助の引退したいという気持ちを了承しました。

戻ってくるというのを信じて。

でも島田紳助は戻る気はなかったんですよね最初から。

大崎洋は立場上、世間に向けて始末をしないといけない
立場だったので仕方ない事
だったんですね。

 

    そりゃそうでしょ。

    男気があるならそう思うよね。

    俺も木村さんのおかげでやってこれたけど、松本にとってはそれが大崎さんやから。

    そりゃ恩義を感じてるし。

    そりゃそうや。

    引用元:週刊文春

島田紳助は大崎洋会長とは長い付き合いで一緒に歩んできた
引用元:週刊文春

こうやってみると島田紳助もダウンタウンも大崎洋にと共に吉本興業を築いてきたというストーリーが背景にあるんです。

上沼恵美子がいう、ライバルを抜いて頭一つになった
人の言葉は共通しています。

気概が違いますね。

それが私の目にはかっこいいと写ってしまいます。

大崎洋はクリエイティブでプレイヤーとしての才能があったため、
経営者としては表現を間違うこともあるという
見方をしているようです。

それは、長年ずっと共に歩んできた松本人志や
島田紳助だからわかることなのかもですね。

結局の所、松本人志と吉本興業、特に大崎洋とは
本当の意味でもファミリー(身内)の固い絆があり、
ここまでのスターになるために苦労をともにした人物に
並々ならぬ恩義があるため、絶対に吉本興業を捨てることはないのです。

松本が動くというのは、丸く収めるための
発言だったんですね。

若いころのダウンタウンをよく見てました。

「4時ですよーだ」とか必死で見てました。

その影に大崎洋の存在があったんですね。

大崎会長がやめたら、そりゃやめますね。

吉本の若手のためといいながら、本当は
吉本興業を守りたいのだと思います。

それは松本人志だけでなく昔からいる大御所の
吉本芸人はみんな同じ気持ちだと言うことです。

結局、大崎会長も岡本社長も退陣はまず
ありえないでしょうね。

加藤もやめないでしょう。

丸く収まって終わるような気がします。

SNSで告発していた若手はちょっと分が悪いと
思うので自力で売れてくださいね!

大崎洋会長はどんな経歴で吉本興業の会長になったのでしょうか

会長までに上り詰めるには才能と敬礼能力が
ないとなかなかなれるものではありませんね。

経歴などをみてみましょう。

大崎洋プロフィールと経歴

    プロフィール

    吉本興業大崎洋会長
    引用元:産経新聞
  • 氏名:大崎 洋(おおさき ひろし)
  • 生年月日:1953年7月28日
  • 出身地:大阪府堺市
  • 職業:吉本興業代表取締役会長
  • 出身大学:関西大学社会学部卒業

    経歴

  • 1978年 吉本興業株式会社に入社
  • 1980年 吉本興業東京支社(当時は東京事務所)へ上司の木村政雄と共に異動
  • 1982年 吉本興業東京支社(当時は東京事務所)から大阪の吉本総合芸能学院の担当社員へ異動
  • 2000年 株式会社ファンダンゴの取締役に就任
  • 2001年 吉本興業の取締役、株式会社アール・アンド・シーの取締役に就任
  • 2002年 株式会社有明スタジオの取締役に就任
  • 2006年 吉本興業取締役副社長に就任
  • 2009年 吉本興業代表取締役社長に就任
  • 2019年 吉本興業代表取締役会長に就任

大学を卒業してから吉本興業に入社して
ずっと吉本興業一筋でやってきた方です。

80年代は漫才ブームで今聞いても
実績のある漫才師がたくさんいます。

そんな時代に吉本で吉本総合芸能学院(NSC)の
立ち上げの担当となり、ダウンタウンと出会いました。

その頃ダウンタウンは無名の漫才師で
大崎洋がマネージャーとしていろんなことを
教えたと言われています。

ダウンタウンを東京へ進出させ不動のお笑いキングに
育てたと言っても過言ではないでしょう。

出世をしたいという野心を持っていた大崎洋は、
もともとのセンスがあったのか、野望どおり
吉本興業の社長に成り上がります。

東京支社長就任後には、劇場の建設や
若手育成に力を注いでいました。

しかし会社の方針に合わない芸人たちを
リストラや契約解除などスパッと切り捨てるという
会社方針を実行しています。

極楽とんぼの山本圭一の事件が衝撃でしたが
大崎洋が解除をそうそうに決定したのでした。

会社方針として徹底していたことは、
不祥事、モラルに反する行為を起こした芸人やタレントには
徹底的に厳格な対処をするということです。

漫才を好きという吉本興業の門をたたく若者に
門をとざしたくないという気持ちで受け入れている
スタイルのため、今では6000人という大所帯となっています。

それが大崎洋のスタイルですが、心底お笑いの世界に
生きていてお笑いというのを理解している人物と
私は受け取りました。

まとめ

  • 大崎洋会長は大学卒業後、吉本興業に入社し、NSCを担当し、ダウンタウンのマネージャーを得て、社長、会長へと昇進している。
  • ダウンタウンが無名の頃からマネージャーとして歩んできているため、松本人志が慕うのは当たり前。
  • 吉本興業は本気でお笑いのための門をひらいており、大崎洋は本気でお笑いのために尽力してきた人物。
  • 大崎洋がいないと吉本興業はつぶれてしまうほどの実力者